バルト海の北東部に点々と浮かぶ、長年の侵食と波浪により諌められたフィヨルドの名残。陽だまりの中にまるでつきたての鏡餅のように柔らかく小さい、そして岩盤を貫き成長した針葉樹に覆われた数千の島々が延々と点在する。その中を縫うようにして大型フェリーが行き交う。その航路から外れ、一夜の泊地を求めて船旅は続く・・・・。 目的地はフィンランド領 ALAND諸島
バルト海の北東部に位置する「オーランド諸島」。その日冷え切った空気の中、北緯60°(Jun 10 14:57)北極圏間近の緯度線を越え、1999年6月11日16:30「Mariehamn」にたどり着いた。<湿度42%、気温23度、快晴> 数日前より快適指数150%の雲ひとつない天気がつづいている。 45mile/Log その朝7:00 FURUSUND Marina の舫いを解き、機/帆走で9時間30分の快適な航海が終わった。
初夏の南西の風を受けて、クルージングスピンがはらむ。数々のフィヨルドの静かな入り江にアンカリングしながら、バルト海を東へ・・・・。オーランド諸島、マリエハムンヨットハーバーは半島のEast側に位置する。ここはシリアライン、バイキングラインが避暑客を乗せ到着するフェリーの乗り場があり、その並びに建つボーマン博物館(歴史ある帆船に歴代のフィギアヘッド・バイキングのカッターなどが展示)と共に賑わいを見せる。
少女の後ろにある建物は、大きなほうがハーバー管理事務所と2Fはレストラン。手前がハーバーのキオスクで土産物なども置いている。ここで次のヘルシンキまでの海図を購入した。この海図はコース別の見開きA3版サイズ。日本円で約1500円程度でどこの書店などでも手に入る。
ここで、時計の針をスウェーデンから1時間進める。サマータイムシーズンは一日がとにかく長い。待ちに待った夏!・・・・人々はそれを求めて、夢見ていた長い休暇を取るのだ。
マリーナでは、早朝から家族連れがOPヨットの準備をしている。10歳ほどの子供がそれぞれ自分でセッティングして、次々と出航していく。さすがバイキングの末裔、手馴れたものだ・・・・。
ある日このマリーナの一画に 45feet ほどの年代物ではあるが、きっちりと整備された豪華な老英国人(73歳)の乗ったモーターヨットが舫われていた。Open living with flying bridge 200馬力×2 にバウスラスター、シャワーなどのフル装備。 ワインにスコッチに…えぇ~い!何でも有りじゃ~。その優雅に設えられた艫には、さりげなくそして充分に目を瞠る " RLYC 〟の文字が刻まれていた。
" RLYC 〟これは、ロイヤル ロンドン ヨットクラブのステータス Logo 。由緒正しい家系とそれなりの身分がなければ、近寄ることすらできない。有余る資産があったとしても会員の紹介、推薦状がなければ、当然入会など不可能だと云われる。
スターンのアッパーデッキに設えた大きなウッドテーブルを前に腰かけ、その小太りの老船長はワイングラスを傾けていた。緩やかな北欧の夕陽を浴びながら、客と二人なにやら談笑するそれは、洋画のワンシーンである・・・・かのような錯覚を思わせた。旅は続く・・・
2 件のコメント:
話には聞いたことがありますが「RLYC」…「皆のモノひかえおろぉ」ってな感じでしょうか。
でも、すばらしい本物のヨットクラブですね。
そうなんです!最初は・・・。
でも、次回に書きますが気さくな爺さんでした。
それも何か曰くがありそう~な!
この後ヘルシンキのヨットクラブで再会・・・!
その辺から妄想が膨らんでゆきました。
歴史と設備が整った、このようなヨットクラブは
あちこちにありました。
ビジターが何処に着けても、楽しめる受け入れ態勢が
整っています。リタイヤされた夫婦が数ヶ月に渡り、
これらの国々を船旅しながら、まるで当たり前の生活
のように過ごしていました。
あれから10年、やっと日本も「海の駅」的な設備が出来、
少し高いが日本中を船で楽しめる環境になったと思います。
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