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2010/08/04

ヘルシンキ!名門NJK ヨットクラブで...

1999年初夏...フィンランドの首都ヘルシンキ!港ではフリーマーケットが毎週開かれ、野菜などを舟で売りに来ている人達もそれを待望んでいる常連客達も...それこそ様々な野菜・果物が並べられ、賑わっていた。
穏やかな波を受ける坐りの良い石積みの護岸では、初夏の風を受け耀く太陽を精一杯受けて、出来うる限りの時間を潰した。時折、こちらでは当たり前の袋につめた茹エビの殻を剥き、食べ歩きしたものだった。
そして暫く世話になった名門NJKヨットクラブ。写真の島全部がNJK-YC だ!( Nylandska Jaktklubben (NJK) on Helsingin)島唯一の建物の2階は、贅沢な雰囲気のレストラン!各テーブルのキャンドルは年代物の逸品!当然、我らが行く場所ではなかった!
ハーバーマスターはここに停泊している間は、自由に使ってくれ!日本の国旗まで対岸の国際ホテルから調達して、島のこのメインポールに掲げてくれた。
あぁ!ずぅ~っとこのままで居たい!この椅子から離れたくない!行き交うボート、ヨット、カモメ(о'д')b...乾いた空気!抜けるような青空......ね!満足そうでしょ~!
対岸の国際フェリー発着所にはVIKING/SILJA-LINEの大型フェリーが接岸し、乗客たちの夢を乗せて、ひっきりなしに出航していく。
離れがたしヘルシンキ!だが我々も、50マイル対岸のエストニアを目指し後ろ髪を引かれながら出航したものだった。できればこの大型のフェリーで行きたかった。ヘルシンキからはJetフェリーに乗り数時間でタリンへの旅も可能なのだ。
この後ろ髪がそうさせたのか、不思議なことに風も吹かず波も立たない海面を丸一日かけてエストニアの首都タリンにスムースに入港し、艇はオリンピック用に設えられたマリーナで舫うことができた。
ここではパスポート、入国審査も同時に出来るのだ。街まではバスで10分余りをローカルバスで、時間通りそして快適に移動し、清潔で明るく軽快なタリンの中心部に降り立った。
【Old Town 】城壁に囲まれ、条例で新築物は建造できない。旧建築を守り、当然ながら生活し実用として観光用としても利用しているのだ。
丸一日あてどもなく歩いても、パブで地ビール1杯で半日粘ろうとも、現代の空間に居るとは思えなかった。中世の世界にいきなり飛び込んだような錯覚さえ起き、時間がゆっくりと流れる...オザボの棲家もこの辺か...
アスファルトでもコンクリートでもなく石畳の道路が坂道を造り上げ、小路には幾世紀に渡り通行する荷車の重みにも耐えて磨り減ったレンガに導かれて旅人を誘うのだった。
城壁に夕闇が迫り、ランプが灯り、闇の帳が辺りを支配していく。首筋を逆立てた気配に振向けば...黒マントに包まれた僧侶が、鉄兜の騎士が...幾世紀か前のその時代にワープしたかのような感覚を覚えたものだった。

2010/07/26

難儀な旅とも...おさらばじゃ~ぁ!

知ってか知らずか!は、問題じゃぁなかった。船底のキールをリフトUP し90センチにして10㎝の保険を掛けた!その保険も使い果たす運河だった。呑気に Malbok の城を観光し、旨い地ビールに嬉々としていた時間は過ぎた。
8/16・8/18 On The Sand!流れる水量が減り、至る所で80センチに短縮したキールでも立ち往生してしまった。村人に頼み引き舟を探し、川下側へヨットを横倒しにして引きずり落とし、難を逃れたことも2度ほど有った。バウとスターンにロープを取り、バウを心持ち川下へ向ける。その斜めのスタイルで引くとズルズルと、ばかりに移動する。乗員は傾斜したデッキにしがみつき、右往左往...シメタ!このまま出られなきゃ!陸路でス~ィスイ!難儀な旅もお仕舞いじゃ~ぁ!なんて真剣に思ったものだ。だが不思議とヨットは窮地を脱するのだった。
ロックの水量が足りずゲートにも入れないときは、その場で半日近く待って水量が溜まるのを待った。その逆も!
ロックキーパーが言うには、今ゲートを開けたら底が閊えるぞ!次のゲートを閉めさせて水深を揚げさせるから マァ! ...1日ここで待て...! 
どう云う事かといえば、数キロ下流のゲートを閉める。徐々に水がここまで溜まって来ると水深が確保できると、云う算段だ。 ・・・ハァ...どうせ時間など、はき棄てるほど有るのだから...
徐々に狭くなる川幅に水草がペラに絡みつく。ゲートの中にも満杯の邪魔者は、到るところでビールを求める巡礼者を泣かせたものだった。ヨットはマストを横たえて上の邪魔者には対応しているが、水中のたかが水草!これにはずいぶん泣かされたのだ。
さらにおよそ2.5ノット近い流れが急な場所だった。写真のように岸辺の雑木の枝に舫を取るしかない。途中、どんなにしても村や町がなかったのだ。まる1日川下りが続き、夜が迫り仕方無しに、こんな場所で停泊したのだった。不思議なことに、安らかに寝れるのだ。人間いろいろ経験すると、慣れるらしい。ただ、この茂みがいきなりガサガサし、不意に人影が見えたりすると、さすがにヒィー(>ω<ノ)ノ怖い!何処から来たのか、大体は食用に釣りをする村人であった。
ノテチ運河の中間地点に GORZOW WLKP の街に停泊したときは、写真の階段状のスペースしか留めるところが無かった。しかも目の前の広場では数十軒のテントの下で様々なお店が商売をしていた。実はここでベルトを買ったのだが...見た瞬間 10Zt-300円!ヤャ!メチャ安い! しかも Lee とベルトに刻印がある。┬´ω`*)。oO(ヤッタ♪) てなもんで喜んだのだが...1ヵ月後ベルリンでジーンズを買いベルトをし鏡を見ると何か変である。よくよく刻印を眺めると、そこには...L66 と印してあるではないか!Leeでは無く L66!  e がひっくり返っていたのだ。中国製...
ちなみにジーンズなどの丈はフィンランドとポーランドは日本人サイズが揃う!そのほかは殆ど、松の廊下...今では珍しくない980円ジィ~('ェ')ンズ、このときも26Zt 1080円...店の主人が一回り太いのにしておけ!...よ、余計なお世話だ!...で、もって帰国して半年で履けなくなった。
およそ2週間、その先にはドイツとの国境を流れるバルタ川(Warta)に隣接するポーランド最終の都市コストシンが見えてきた。

2010/07/22

ポーランド横断!ノテチ運河の風

ポーランドを縦断するビスラ川の中継都市ビドゴチュチからブルダ川を経てノテチ運河ヘ。ビスラの大河から支流の川とNotce運河によりポーランドを横断する総延長300Kmにも及ぶルートなのだ!ビスラ川の中央部に浚渫コースの案内板と浮標ブイが見えるだろうか!これが左右の川岸に目印として建っているのだ。
これまでのビスラ川とは大違いで、水路は細く、緑の水草に覆われ水深も浅かった。都市部近隣の一部は整備され航行しやすいが、一歩そこを離れると全くの自然のままで成るように任せるしかなかった。ここはポーランド中央部にある BYDGOSZCZ の街。
ロックをくぐり町に入っていく。そこには綺麗に整備された町並みが、自然と共に待ち受けていた。今日の停泊はこの町の中心部。それも一番上等なスペースを誰に断るでもなく、当たり前のように舫ったのだ。目の前にはお誂え向きに、華やかしいリバーボートが待ち受けていた。
このリバーボートはレストランパブ。当然ながら上陸し、即ビール(4Zt 120円)を呑みに出かけた。私の大好物バーベキューチキン!1羽10~12Zt(300~360円)ハーフでちょうどいいサイズ!縦長の専用グリルでグルグルと10数羽の串刺しチキンが踊っていると、匂いに釣られてつい食べてしまうのだ。たぶんこの旅の最中に、少なくとも30羽は食べたかもしれない? だが夢には出ない...!
それとこの旅で初めて食べたブルーチーズ!臭いのだ...はじめてこれを見たときは衝撃のクサヤ状態だった。ビニールで包み、暫くほおって置く。チーズの周りが腐り溶けはじめる。3m先でも匂ってくるが、ソロソロ食べごろだとの合図なのだ!ナイフでどろどろを抉り取り、中身を切り出す。。゚(/□\*)゚。
安いがしびれるほど旨い赤ワィ~ンを片手に...口に放り込む!すると...
キャハ━━━━(#゚ロ゚#)━━━━ッ!! 極上の旨さが舌の上を這いずり回り、至高のひと時が訪れる! しかし屁へは絶対してはいけない!約束だ...
清楚な町並みに可愛いトラムが走り、土日はすべての商店がクローズ!観光客用の小さなお店、食料品店などが辛うじてオープンしていた。公衆電話は1.5mm厚のICカードでキオスクなどで購入する。日本にかけると、ものの数十秒しか繋がらない。銀行はシティバンクカード、買物は殆どの場所でビザが通用した。
この町で久しぶりの四ッ星ホテル POD ORLEN 294.50(Zt)ズルチ×30円
(1泊2名/2_bed room)でゆったりとシャワーを浴び寛いだ。Restlan 30Zt
(Main 25Zt/Beer 5Zt) ← 地ビールが150円(四ッ星価格)
後ろ髪を引かれながら町を出ると、これから先は自然に任せた川が続く。ブルダ川からいよいよ本命のノテチ運河に...この後、幾度も< On The Sand >が待っているとも知らず...

2010/07/16

遥かなるビスワの流れ!

イムジン河は、とうとうと流れているらしい。だが、このWisla(ビスワ)川は、表面はこそ薄茶色に濁りきった水に覆われて不動のように見えるが、とてつもない水量が流れているのだ。
ポーランドを縦断しバルト海に注ぐこの大河は、そのキャメル色の濁りを携えて、上流の護岸から削られた砂を川の流れに乗せ、そして砂洲を形成しながら下流域の大地を肥沃に潤していく。
ビスワ川は蛇行しながら、要所ヾに海へ注ぐ経済の結節点となる交易の場を増殖していった。小さくはあるが優雅で美しい古城や古の都市などは、ここを行き来する商人たちから通行税を徴収する事が主目的の一つとさえ言われている。
前回もこの砂洲をご紹介したが、グーグルアースにあまりにも見事に写っていたので再度取り上げてみた。図のように岸辺にはグリーン・レッド・イエローの標識により航行区域が指定されている。要するに右岸と左岸の標識が示す航路を走りなさいと、云う事だ。少しでも油断するとたちまち砂洲に乗り上げる。川幅が広いので流れに逆らいながら微妙な操船コントロールが要求された。
リバークルーズも運河の旅と同じに、違った意味で楽しいのだ。日本では想像もつかないスケールの水の流れは夕暮れ時になると新たな姿に変身するのだった。
此処から更に数日上流に進むとビスワ川からノテチ運河に。それはポーランド内陸への進入路でも有った。川と違い運河は幅狭く、またより近くに景色が迫ってくる。無人に近いロックゲートは朝にならないと開けて貰えない。
ビスワ川流域の風景とはまた違い陸上の内陸文化を楽しめる運河は、時には数日、また1週間と食料、ワインを求め自由市場を徘徊する。どんなに歩いても、夜には必ず見つけたパブなどで楽しんだものだった。

2010/07/09

ドッグの構造

ヨータキャナルのハイライト!この運河で最大の見せ場が此処なのだ。大小の舟がこの数十mの丘をのんびりと、そしていそいそと上り降りしていく。さて、運河のドック構造とは、また艇を傷めずに利用するには...
満水のドックにそのまま入り、舫を取る。しかしこの後の図を参照して欲しいのだが、ロープの長さ、張りにチョットコツがいる。上りと降りでも方法は少し違う。上の写真は航行してきた水面そのままにドックに入った場合。
フランス人のドタバタ3人組 エタップ23feet で旅をしていた。
降りのときはバウとスターンから行って来いにした長いロープを使う。なぜならば上下で5m近く水面が下がるからだ。固縛すると後でとりに行かなければならなくなる。ループしてコントロールした方が効率がいい!上るとき、降るとき、場所やドックの大きさでロープワークも違うのだ。
お分かりだろうか!同じ場所の最大に下がった水面の様子が...前方の壁がゲートである。側壁は鉄製の場所や石積みの場合も有る。降る途中で艇体を壁から離されず、がりがりと引っかけずの要領は慣れるしかない。上下写真の艇位置の違いが判るでしょうか!

さて!この絵は上り?降り?
ご覧の通り水密もすばらしく機能的な構造なのだ。基本的に降りるときはスーッと入って、ゲートがしまり水が退くと共にとズズズッと降りていく。下手な船はシートで首をくくる(つまり水面が下がるタイミングにシートを繰り出せず、宙吊り状態になってしまう。
また上りの時は、船底から押し寄せる水圧で流され、あちらこちらに迷惑をかける。「ドス~ン、ズド~ン、ゴツン!」ピカピカに磨かれた他艇にぶつけ、ひんしゅくを買う。やはり上りのほうが大変かな?
「舫のとり方」…ドッグに入るとすぐにしなければならない、舫い。これにもノウハウや手前味噌がある。基本的には写真のように固縛すると最後(サヨナラする時)が大変で、外しにまた濡れて滑る鉄梯子で高い壁を登らねばならない。シートをループして双方の端を自分で持つ。作業が済んだら片方を離して、もう一方を手繰ればOK。くれぐれも両方離さない!船は出て行く、ロープは残る!今出たロックにゃ戻れない!

この手で出来そうだが、実際は難しい。一人では出来ない。バウとスターンにそれぞれ人員を配置して「上り・降り」の微調整をしなければならない。
くれぐれもシートは固縛しないこと。(写真は机上の理論に過ぎない)
ドックには大小に関らず、必ず写真のような壁に鉄製の梯子が!リングかポストまたはクリュートなどが護岸上に3~5箇所設置されている。図のような登りのときは水面数m上にそれはある。中には6~8mも濡れた鉄はしごを、しかも”急いで”登り、上とデッキのクルーと2人で作業しなければならない。この写真は水面から8m余りのドックで梯子を一段ずつロープを使ってホールドしてコントロールしている。どうでしょ!楽しんでる?
図のようにドック上で引く場合は、ゲートから侵入する前に土手沿いによじ登る。たいていは写真のように、水面の上昇と共に1段、また1段とロープでホールド!中には鉄梯子の無いものも多く、壁に開いた四角の穴に収まっている、鉄のクリュートに引っ掛けながら(これがたいへん!)上昇に合わせていく。
「ドックの大きさに寄るが水門が閉じると同時に、水面に向かって怒涛のように押し寄せ小舟は中央に吸い寄せら(押出さ)れる。壁面のポート側から離されないよう「力いっぱい」バウとスターンで綱引きが始まる。
その点、降りは少し楽でソロソロとシート(ロープ)を繰り出す。レンガの壁面を削らぬよう、フックで捌きながらしかも流されないよう、細心の注意を払いながら排水とともに降っていく。

やっぱり汗をかいた後には...これでしょう!(*´ω`)o∪∪o(´ω`*) 呑んでるときの顔が一番エエですなぁ...!
さて、ヨータキャナルにはレンタルヨット・ボート、2Weeksクルージングなど様々なクルーズが楽しめます。チャンスがあればもう一度行って見たい、そんなキャナルだった。

2010/07/07

目指すはストックホルム!

【Gota Canal】ヨータキャナルはバーネルン湖を経てその入り口が Sjotorp の町だ。運河に入る喜びは何とも云いがたい。岸辺には緑の樹木が風をさえぎり、色とりどりの草花が咲き誇る。芝生の緑が太陽の輝きを反射して、これまでの航海の疲れを癒してくれる。
暫しの休憩 (*´-д-)ゞ & グビ~ (*゚ω゚)ノ∀... ず~っとこのままで居たい......
ここから幾つかの湖を経てバルト海へ向かうのだ。キャナルの川幅は広いところで数十m。橋の下など狭いところでは数メートル。数々のゲートを上り、次のゲートへ。そして先へ!先へと新たな出会いと刺激的な風景を求めて向かっていく。
見た限りは人工的な護岸工事の痕もなく、自然に溢れ、眩き囁く樹々の葉や花々が咲き乱れている。ここではほとんど流れはなく、時折、風の影響を受けるぐらいで Max5Knot の規則を守れば自由に航行できる。
【サイクリング!】森を抜けると水路の両端は牧場が延々と連なる。陽のあたる岸辺の水のみ場に牛さんが日向ぼっこに来ていたり、サイクリング道路が併走していたり!自然と人々が共存して楽しんでいた。
そしてキャナルの最終地点の「Men」の手前の町で、旅人は楽しかったキャナルの長旅を振返る。此処には5Days とか、2weeks 長期キャナルクルーズ発着の町でもある。
深い森をかいくぐり、うねる陸を彷徨い、満天の星座と流れ星に見入ったクルーズもここで観光客は帰路に着く。離れがたいこころ音が町を散歩させて、休暇に切をつける。そんな人々が自然と集まる場所は船溜まりのデッキ...
さあ!此処を入ると後戻りは出来ない。これから楽しむ運河の旅に出かけるにしても、先の困難の思いと溜息顔でバルト海に船出するにしても...このゲートが最後なのだ。
  
ここから幾重にも連続するゲートを降りていく。実は上りの船があれば延々と昼食!ビール!昼寝・・・!そのぐらいのんびりと待ち、開いたゲートをこれまた何度も繰り返し降りていく。
バルト海に面した船溜まりに舫う。ここは当然運河の旅を楽しみに、そしてそのためにバルト海を乗り越えてきた船が延々と順番を待つ場所。
幾重にも連なるドック毎に芝生で日光浴する姿が見え、当然水着姿で短い貴重な夏を満喫する人々はそれこそオープンである。「Baltc Sea」そこまではまだ数日に渡り、入組んだ岩場と入り江が続く海域を航行する。Men は運河の最終地点そしてフィヨルドの最深部、そこはバルト海の入り口でもあった。
写真の建物は Men のゲート事務所。ここには Diesel 用の燃料を売っている。パンフレット、運河の徴収などを行う。ただし時間に注意、居ないときが多く、数時間待ってやっと合える。
船尾の Japan の国旗を見て、担当官が「日本の船は初めてである、よって特別に Men のフラグを進呈します。」ヨーロッパはもちろんアメリカ船籍のヨットも来たそうな!初めての日本のヨット!名誉なことだ。
【Baltc Sea】後ろ髪を引かれて Men を出航する。できればこの先には行きたくないのだ。なぜならばこれからが本格的な外洋になるからだ。外洋に出るとシリアライン・バイキングラインが就航している。バルト海周辺の大都市間を観光客がクルーズするには格好の交通手段なのだ。行く先々で観光し美味しい料理に舌鼓を、ワインとビールが付き物で...あぁ~!思い出す...
そんな楽しかったヨータ運河のクルーズから、海洋小説で読んだ「荒れるバルト海」が、待ち構えていると思うと不安が募る。事実!何度か痛い目にも遇った。丸く柔らかそうな洗岩が、直前の海底から迫ってきたり、冷たく腰の有る風に翻弄されたり!時にはクルージングスピンが柔らかな順風をまとい、艇を爽やかに推し進めてくれたのだった。
出航して即!岩場が連なる入組んだフィヨルドが待ち構えていた。まだ湾の中で平水の海を穏やかに、そして楽しみながらクルージングしていく。目指すはストックホルム!先は長い...