2012/12/28

ちょいと早いが今年の締めくくりじゃぁぁぁ~!

某月某日年の瀬も迫り残すところ数日...日本海側では大雪が降り、明日は信州の実家に帰る予定だがどうなります事やら!昨年は故郷から年末31日に戻りその深夜~元旦未明まで桑田バンド年越しライブを楽しんだのだが…!
今年は横浜アリーナ初日のI Love You  now & forever コンサートと相成りました。だがしかし(@_@;)/チケットだけでは入場できましぇ~ん!なんと免許証(身分証明)が必要なんです。17:00から長蛇の列最後尾に並び、途中で上の写真2枚をパチリ!
まずはロビーで生ビールを…景気づけに軽く一杯!微酔いの中 LIVE TOUR 2012 " 悲しい気持ち♪ ♪ 今でも君を愛してる♪♪ いつか何処かで ・・・" 巨大な音圧が体を揺すります!これで1年!あっ\(◎o◎)/!と、云う間に過ぎました。
 
何だか年越しって感じがしません…(;´Д`)ハァハァフンフンソウソウ!最高にしあわせでした~ ゴジラ松井の引退なんて News も飛び込んできて…桑田さんの年越しライブで始まった、この1年色いろありました!
極寒の弓道場で修業を始め、週2回平均に道場に通いました。ジムにも通いスリムな躰を手に入れました。海にそして大好きなヨコハマに幾度も通いました。山下公園から見る濱の海はなんとも心に残っています。
みなとみらいの真夏の夜の夢!大輪の花火、YBMの宵酔の日々!遠く西方から遊びに来たお友達と船酔いもみくちゃの新島へも行きました。
本当に皆様、たくさん遊んでいただきまして、味が党!ごじゃりました。来年も健康で、美味しいお酒を酌み交わし…海の上でお会いしましょう!良いお年をお迎えください。


2012/12/23

荒海越えし、もののふ魂よ...!

某月某日連日寒い日が続き、心折れそう漂風が足元にまとわりついていた。舷側には駿河湾を越え、寒気を伴ったおおならいが吹き抜けていく。頃は天正18年(1590)二月、切り裂く寒気が尾根づたいに今山を経て海へと落ちるその先に、北条氏が海賊城の城将である梶原備前守兼宗の阿蘭城があった。
出典:石井謙治氏
それは城というより数十メートル前後の狭い丘陵上から海へと続く、なだらかな尾根の先端の網屋岬に設けられた物見砦に近かった...と云う!梶原吉右衛門(景宗、のち備前守)は北条氏康より海上警固を命ぜられたが、小田原合戦で徳川の臣、本多作左衛門重次、向井正綱の率いる水軍によって落城後、北条氏直の高野山追放に梶原備前守も随行、のち紀州広村に帰農する。

その戦いは徳川水軍の半分ほどのあだけ丸の大筒1門1艘と水軍船隊の巡洋艦的役割を果たす関船、小さな早船(小早船)多数に対し、徳川家康が向井将監に建造させた安宅丸(大筒三門の船首に長さ3間の竜頭を置き、竜骨の長さが125尺(38メートル弱)、肩幅が53.6尺(約20メートル)で推定排水量が1500トン、艪(ろ)数は2人掛りの100挺であった。)六艘には敵うわけもなく撃沈或いは毀ちて敗走したという。
ボイちゃん!面白い本をあげるよ...YBMで泥酔していた、とある時に呑み友達の姫ちゃんから頂いた。それは ″ 見知らぬ海へ " 戦国末期、好きな釣りに出ている間に敵の攻撃を受け、持舟城で父と兄を失った男がいた。駿河湾決戦で北条水軍との戦いに頭角を現し、向井水軍の長として徳川家康をも唸らせた海の武将の歴史小説だった。
あちらこちらの忘年会に疲れ、扁桃腺を腫らし北キツネのようなコンコン病原菌扱いされながら、この歴史小説を一気に読み通してしまった。小説の中の向井正綱は小早船に張った南蛮風の三角帆を自在に手繰り、風上に切り上がる術に長けていた。櫓を押すよりはるかに早く、しかも音も立てない現在の帆走に近い操船術であった。
阿蘭城の真下の海面に船を停泊している安良よっとが、この城に興味を持たぬわけが無く常日頃Netや文献で検索していたのだが、この小説で攻め落とした側の将からみる物語は成る程...と、素直に馴染んでしまうのでありました。
清水湊を拠点とする向井正綱は武田水軍滅亡の後、遠い昔から駿河、遠州、三河と駆け巡り名を馳せた本多作左衛門重次の達ての所望により徳川水軍の長として帰属した。そして今また信長の命により船体に鉄板を張り巡らせた安宅装甲船を持つ九鬼水軍を長とした豊臣方連合軍に加わり、北条水軍と決戦の火蓋が切られようとしていた。このとき豊臣側二十二万、北条側がかき集めた軍勢は農、町民混じえ五万二千有余と言われている。
世に言う北条氏の戦術をめぐる評議での論争が長引き拗れた小田原評定にて、小田原城籠城と言う消極的防衛策に決まった。それに寄り伊豆水軍は小さな砦は放棄され、次の五つの獅子浜城、伊豆水軍の集結地の重須砦、安良里砦、田子砦、下田城で死守することとなったのである。
にびいろ(鈍色)の空からおおならいが吹き荒れ、みぞうの大しけが近づいていた。阿蘭城には本多作左衛門重次の兵が安良里に上陸し、田子砦は向井正綱が海から安宅丸の大筒と、暴風雨の夜陰に忍び上陸した軍勢に攻められ炎上し落城したのだと伝えられてる。時は天正十八年 吹きすさぶならいの緩む...里山に芽吹いた桜が緩やかに舞う四月一日と記されていた。
 
その後の二武将:
 勇猛果敢で剛毅な性格から「鬼作左」の通称で呼ばれた本多作左衛門重次は豊臣秀吉の怒りを買い、家康に命じ上総国 古井戸(現:千葉県君津)に蟄居させられた。その後、下総国相馬郡井野(現在の茨城県取手市)に、文禄5年(1596年)7月16日、68歳で死去。
 向井正綱は三浦郡三崎で舟手奉行「向井将監」として徳川家康の元、江戸湾の警護や幕府水軍の維持に努めたと言う。屋敷は三浦諸磯近く源頼朝の別邸のひとつだった「桃の御所」(現:見桃寺)に住んだと言われている。

2012/12/09

もう此れは駄目です...!?

某月某日冬晴れの中、あのガタピシ騒音振り撒き、喉三寸美味妙なホルモン焼きを襲う南武線に乗っていた。南武線には十数年ぶりに、そして稲田堤駅で下車し京王稲田堤駅へ向かった。これから先は私にとって未知の路だった。
京王稲田堤駅で不肖の弟子を鍛え上げてくれている H川師匠、同行する弓道新人の方々と待ち合わせして弓具屋に向かったのだった。町田市の相原駅もはじめて降り立った信州の田舎を想わせる小さな駅舎だった。
新人の方々は道衣や袴などを求めに、私はと云うと...もう此れは駄目です!...大師範から、良いぞ!やっと弓道の入り口にたどり着いたナ...ただ次のステップに進むには専用の ゆがけ (弓懸け)を手に入れなさい!と、指導があったからだ。
左の弓を押す手を弓手という。右手を妻手といい親指の根元に弦を掛け引く、この指を守る鹿革製の手袋状の道具のことを弓懸けと言うのだ。弓道の道具はヨット仲間から教えていただいた上野浅草の弓専門の老舗で購入するつもりであったが、大師範から早急に用意しろ ! とのお達しであったので急遽買い求めに向かったのだ。
弓道を学ぶには姿勢、動作の心得を学ぶ教本、そして道衣に身を包み、弓、弦、ゆかけ、矢などが必要になるのだが、慣れない初歩の時から弓懸け  を手に合うように創りあげることが必要といわれた。だが何時まで、何処まで続けられるのかどうか様子を見たかった。
ユガケの善し悪しは矢を放つ善し悪しに直接関わる極めて重要な要素で、また、使い込まれて射手の手に馴染んだユガケはそう簡単に新調出来るものではない。良い作りのユガケは適切な手入れを行っていれば一生涯持つと言われている。これらの事からユガケは大切に扱う事が大事であるとされ、また『カケ、変え』から転じて『掛け替えの無い…』という言葉の語源だと弓道家の間でしばしば言われている。 ※出典:ウィキペディア
そこでボイちゃん!奮起して、矢筒を作ろうと...矢は古いものを数本手に入れていたが、矢の長さが合わなかった。切り詰め鏃を付け直し3本製作した。その矢を入れて移動・保管する矢筒が必要であったのだ。
ビミニトップの布を購入した折に布芯の紙製のパイプを保管しておいた。ちょうど良い太さだ!これを利用して矢筒を製作した。パイプに包帯を巻いて油性ニスで接着張りしてパイプ接合部の強化を図った。
まだ途中だが、この後に乾いたパイプをヤスリで表面仕上げして、最後に漆を塗り仕上る計画だ。残念だがブログUPには間に合わないので、仕上がったら追加UPいたします。年明けには新しい弓と矢を購入し、修行を積むつもりでごじゃりマッスル!
アッ!と言う間に仕上がりました。今回は漆は塗らずに雰囲気を醸しだす布でカバーしました。肩紐をつけて運べるようにもします。水曜日はこの矢と弓懸けで気合を入れて修業できそうです。後は弓だけです。弓はグラスやカーボン製もありますが、真竹に拘りたいと考えています。
と云うわけでミシンで布を矢筒に合わせて変則裁断し、筈(はず)と羽の太い部分と篦(の)・・矢の軸 の細い部分を同時に縫い分けた。さらに肩紐の結び目だが、筒元を刀結びに、先端を総角結び(あげまきむすび)にして仕上げた。左の絵はキネンさんに描いていただいたVoyager!
そうそう!暫らく前には弓に張る弦を巻いて保管する鶴巻を製作した。右の小さい並寸の物は最初の作品で竹の茶托を使って製作した。左の大きい二寸伸用は藁で編んだ鍋敷き!2個をつま楊枝を挿して貼り付けたものだ。制作費 ⇒ 鍋敷き400円×2+楊枝8本...

2012/12/03

波紋拡がる!問題発言に一同騒然!

某月某日早朝の西伊豆に乗り込み、荷物の積込みを終えて一走り!堂ヶ島を通過すると素晴らしい展望が開けた。三四郎島から萩谷崎にかけて雲ひとつ無い青空と海が広がっていた。
安良里漁港の岸壁には10月に慌しく再出航していった秋刀魚漁船が帰港していた。写真の竿のようにそびえる20本ほどの集魚灯が左右海面に展開され、最初は網を張った舷側とは反対側のLED集魚灯を煌々と点け秋刀魚を呼び寄せ集って来た頃合いを見て消し、瞬時に網を張った舷側の集魚灯を点灯すると秋刀魚が網に飛び込んでくると云う!
昨年までの船から新たに大型船に切り替えたとのことで、作業員が少なく網のコントロールなどが難しいとのことだった。
今夜の修羅場など微塵も感じさせず、穏やかな駿河湾に裾野を広げた真っ白な富士山の姿にうきうき心で...港に戻るとN島さん、Oさん、たまちゃんもご集合で鍋パーティが...N島さんご持参の純米酒″ 上田城 ″ で宴が恥じめっちまった!
恥じめった?そうなのだ、安良よっと!3時から空きっ腹に麦酒を流し込み、第三極が割って入った「三つどもえ」混迷酒を冷やでいただくは、利き酒 蛇の目 8勺盃になみなみ注がれた "上田城″ これにはすっかり酩酊してしまったのでごじゃりました。
たまちゃんの折角のポーズも記憶に無く!何が何だか...呑み溺れてキャビンの炬燵で暖まったせいか、くるくる脳天気のぐちゃぐちゃじゃアルマーニ!
...( ̄_ ̄ )。o0○(グヘヘ…)泥酔お爺ぃに成り下がってしまっておりました。
翌朝!気絶から心和やかに覚醒すれば、まったくの無記憶!朝食にと
ボイサンドを皆さまにお作りしてる間に″ ネェネェ!昨夜のこと覚えてる?....なぁ~んも ... 、あのねぇ!赫々... ″ エェェェ!″  然 然...  ″ ギョエェェ~!″       \(_ _lll)ナハハハ・・・
皆さまがお帰りになり、独り安良里で謹慎するボイジャーでごじゃりました。シトシトそぼ降る氷雨の中キャビンの炬燵に潜りこみ温かなお湯割りをグビリ!涙ながらにPAC-3で万全を期したい!とボイは語る!ので、ごじゃりました!
だども\(o´_`o)ハァ・・・ァ! ハッピィ~脳天気のお爺ぃは政権公約で何を言おうとしてるのか...解らない??

2012/11/26

キンメがなァぃ~!ププププ...

某月某日白帆昇天界の御一党さん方がYBMに集結!早朝にも関らず、摩訶不思議....流浪艇、熊緑艇それぞれに乗り込み、そのエンジンをデンデンデン!と掛け始めたのでありました。なんと!まず最初の儀式は...あろう事か、先ずは一杯!キンメに乾杯ァ~ぃぃぃ!の大合唱でごじゃりました。
向かうは千葉県保田漁港...ご存知!呑兵衛の館...白帆昇天界大宴会場だ...船は出てゆくぅ~♪♪ 朝日が昇ぉるぅぅ~!昼には到着し、先ずは船内で(〃_ _)σ∥u.チビチビヂ・・・
皆の衆!時は今だ熟せぬ、それまで少しやろう!(* ̄□ ̄*;。。何が熟せぬのか分からんが、とにかく急ぐのだ!?...だがしかし、急ぐとも保田までおよそ三時間半!
東京湾に雨がそぼ降り、保田漁港に到着したご一党の面々は小一時間...酒機は熟し、ヨレヨレに!憂いに濡れた桟橋に足を取られながら...あぁ!酔兵水路に熟せざれば誤つて暗礁に触るる事あらんか...などと呟き勇み、保田ばんやへ向かうのでございました。
有ろうことか!其処には...キンメ売り切れェ~!の、張り紙が!
えぇ~!俺ぃらはキンメの煮付けが食いたいんじゃぁ~ \(/へ\*)ウェェェ~ン!
これこれ、こんな所で啼くんじゃない!だってサ、グスン!キンメが喰いたくって、この時化の中を此処まで来たのに...キンメがなァぃ~!ププププ...
あれもこれもと料理がテーブルにご登場するのだが、不在の主役...キンメの穴は埋められないのであった!
翌日は快晴!お馴染みのばんや朝定食を朝生ビ~!と共にタップリと堪能し、買い物を済ませて、息!好い酔いに出航したのでありました。
三浦三崎港では大漁のマグロ漁船がクレーンで巨大マグロを吊り下げていた。ここ三崎港はマグロの集積港として街の津々浦々で舌鼓を打てるのだ。

船団は油壺港に向かう!外海は暴風でも一旦入港すると油を流したような静かな入り江なのだ。安良里もここに似た静かな港なので何だかホッとする。
パノラマに拡がる油壺湾に舫う。地元のヨット仲間の出迎えと浮ブイに艇を横抱きにして、油壺の宴会が始まる。今朝方調達してきた食材と差し入れの蟹缶で鍋が...あっと言う間に夜が更け、気絶状態から覚醒した寝ぼけ眼に映るは、朝もやに浮き上がる幻想的な油壺であった。
早朝から起き出した面々は、先ずは朝ビ~!暖かな朝食を済ませて快晴の相模湾へ!隊列を作り冬には思えない暖かな海面を富士山に向けて!
風は真向かいの北風!しかしそのピシピシと刺すような厳しさが今日は感じさせないほどに、強い陽射しがキャビン辺りを包む!
穏やかに、観音崎を通過!お馴染みの久里浜沖の海驢島を交差する東京湾フェリー、そして遊魚船が海を埋め尽くしていていた。白く耀く灯台の下、海面付近の構造物は戦時中に観音崎⇔千葉富津岬間に張り巡らせた防潜網の設備跡だという!

2012/11/20

安良里...惑溺のたこ焼きパーティ!

某月某日西伊豆は大雨ぇ~ 予報も、なんの園まり!天地真理!曇り模様の安良里に9時前に到着。しめた!まだ降ってはいない。大量の荷物を伝馬船に載せ、安良よっとに乗艇し荷物を収め、雨天用のドジャー、ビミニ、そして周囲をフルカバーリングし終った頃...ポツポツと降り始めた。
今回の安良里には先週末のYBMの宴会の帰り際に凸凹中古の俵フェンダーを頂いた。早速新しいカバーをミシンで縫い合わせ新品ロープできっちりと不退転の決意で周囲を固めた。オイオイ!丼な決意じゃ?だがしかし、いざ出航の時には役に立つはずだ...(*^皿^*)ノ∮))ょッ♪。
と、大雨の安良里にププププププ...MIHO号のN島さんからメールで昼からたこ焼きパーティをしましょうと連絡が入った。京都は清水寺にあるお店秘伝の鰹だしで生地を作った本格的なたこ焼きを食べれるのだ。
今日の安良里はオールスター!皆さまお越しでスージー艇のY花さんとHootaさん、ドンさんも順次到着とのことだった。
久々のたこ焼き!そう云えば明石のたこ焼きも旨いと聞いたが、噂呑みで今だに口には入らん!紅のテツちゃんがその内に大盤振る舞いしてご馳走してくれるだろう!...か?それとも、地味に迫る日本鰊の会...たのむど~ぉ!という明るい気持ちに成れるか太陽の灯!
宴は麦酒から焼酎へ!たこ焼き、入りまぁ~す♪ ハクハク!旨い...本格味だ。 U(:。)ミ――ゃぁ~‐…Ξ≡=堪りましぇ~んo(´Д`●)⌒☆ 惑溺の酒宴は気絶するまで続いた!とサ...
そして好天の翌朝、お馴染みのボイサンド!を美味しく頂き、黄金崎のクリスタルパークでふるさと祭りがあり、秋刀魚1000匹が振舞われるとのことでバス停に集合し、麦酒を飲みに行くべぇ!と、ワイワイ騒がしく皆で出かけたのでございます。
会場はステージ上で太鼓のライブも行われ、堂ヶ島ご当地グルメの海賊焼き、しおかつおうどん等、様々な屋台にたくさんの来場者が群がっていた。
秋刀魚焼きの長蛇の行列に加わり、ジュージュー美味しそうな煙と醤油の焼ける匂いに、順番待ちの方々のゴクリ!...生唾の音まで聞こえるようでありました。
当然の如く麦酒を片手に熱々の秋刀魚をほうばる面々でごじゃりました。駄目です!ほおっておいたら出来あがってしまう。早よう帰ろう...ヨロヨロと会場を後にする、ほろ酔いのお爺ぃ達でございました。
会場の一廓では津波対策のこんなものまで展示されていた。価格はなんと24万円!定員3名、浮沈構造の緊急避難用だという!皆さまのヨットに1個!備品として取り付けたら如何なもんでしょうか?
さぁ!安良里に戻って宴会じゃぁ...ご機嫌さんのご一行の話題は老いに向かっていく...それでサ!最近トイレが近くてサ~ (ー_ーゞ イヤァ、、、しかも尿が切れねぇんだヨ... オイオイ!ここはバスの中ジャって...(* ´Д゜*)はぁ~ん?
只!妙なことにバスの乗客の小母ちゃんまでが...ウンウン!と、頷いていた。